視聴した画面サイズで印象・感想に違いは出るのか。

映画を見ているときは、前頭前皮質の活動が低下し、他の感覚領域が刺激されているため、虚構と現実が混乱する。つじつまの合わないことに疑問を抱かず、完璧でない特殊効果や深みのない登場人物にも不満を感じない。われわれは一緒に座り、画面を見て、時を過ごす。それはまるで、映画の主人公「コブ」がやすやすと人の脳の中へ入り込み、アイディアを植えつけ、人を操作するかのようだ。しかしそのコブは――つまりクリストファー・ノーラン監督は――、そのために特殊な薬は必要としない。彼が必要とするのはただ、大きな画面なのだ。

引用元:映画と夢:『インセプション』の神経科学 | WIRED VISION

詳しい解説はリンク先に委ねるとして、この没入間とネット上に上がる様々な感想文についての色々を考えてみることにしました。

リンク先では映画「インセプション」を例に文章が展開されていますが、映画感想に限らずアニメやドラマの感想など、インターネット上では玉石混合様々なテキストを読むことが出来ます。

もちろんこのサイトでもいろいろ書いてますが、その感想は一体どういった環境で観て感想が書かれているのか、ほとんどの場合知ることは出来ません。映画館でしょうか、あるいはレンタルDVDでしょうか。また大きな劇場でしょうか、パソコンのディスプレイなのでしょうか。

因みに私の場合、多くは80インチのプロジェクターとセンタースピーカーなしの4.1chの音響で視聴しています。あるいは11インチの有機ELテレビ(SONY XEL-1)で確認することもあります。まぁ明らかに一般的な環境から逸脱しているとは思いますが、それはさておいて。

そういう大画面で観た感想を普段書いているのですが、そうすると確かに「感想の基準」が変わってくる気がします。
当然、個人的な嗜好もあるので大画面だけのせいではないと思いますが、細かなストーリーよりも映像や音響がいかに気持ちいいかという点を重視したくなるんですね。

これを言い換えると、小さな画面や貧弱な音響で鑑賞した場合、感想の基準が映像音響よりもストーリーや細かな設定を中心に感想が書かれるのではないかと思うのです。小さな画面では細部に目が行きづらく、どうしてもセリフやシナリオを俯瞰する視点になるのではないか。さらに言い換えれば物語を外から眺める視点になるのではないかと思うのです。

ただ、これは決して大画面が正義で貧弱な環境がダメと言うことではなく、もしかしたらその作品についてどういった視点で見たいかによって使い分けができるのではないかと考えます。例えば、純粋に物語の世界に没入したいと考えたときは大画面と音響がしっかりした映画館などで見るようにし、物語の全体像や設定をしっかり掴みたいと思ったときは敢えて小さめの画面で鑑賞する。もしかしたらそう言う使い分けができるのかもしれません。


これはあくまで個人的な仮説にすぎません。映画館で見てもシナリオや設定のダメ出しはできるだろうし、小さな画面でも画面にぐっと近づけば大画面と同じ体験になるかもしれません。ただ、ネットに溢れる感想がどういった環境で見られた上の感想なのか。ふと目に入った感想を読んだときに少し意識してみるとまた違った印象が持てるのかもしれないと思ったのです。

インセプション Blu-ray & DVDセット (初回限定生産)

インセプション Blu-ray & DVDセット (初回限定生産)